つれづれ

折にふれ思い出す言葉は、国語の教科書で読んだ一節だったり、偶然ラジオから流れてきたものだったりする。

「つまり君はそういう奴なんだな」

これは教科書に載っていたヘルマン・ヘッセ作『少年の日の思い出』中の、エーミールという少年が、意図せず愚行を犯してしまった主人公の少年に対して、軽蔑をもって放ったキツい一言だ。翻訳もの特有というのか、普段使わないからこそインパクトの残る言い回しが今も胸に突き刺さっている。なんでそんな話になったのか覚えていないが、もうとっくに辞めたけど入社したとき同期だったKちゃんとこの件で盛り上がったことがあった。習っている時には退屈だった授業でも、同じものを学習していたことによって、限定された人たちと共感できることもあったりするので面白い。世代が限定されるものもあれば不動のものもあるようで、コドモの教科書に『くじらぐも』が載っているのを見たときはじーんとした。いつかコドモのコドモも『くじらぐも』を習うのだろうか。


次はラジオで聴いて衝撃的だった童話から

「やっぱりだめだったのね、あたしたち」

突然身長が縮み始め、その後も小さくなり続ける少年。少年といままでのようにしあわせな時間を過ごせなくなった少女は、ある日新聞の片隅の広告で見た”ほんとに愛しあっている最中の人"に限り"先着三名様”までの願いを叶えるという『ひとさし指の友』に願いを託す…
深く愛し合っているが故のすれちがい。少女が冒頭の台詞を残し、自分の身体が1センチよりもっと小さくなり"消えてゆくのを感じていた"ところで終わるこの童話のラストは、あまりにもせつない。これは寺山修司作『赤糸で縫いとじられた物語』に収められている『1センチ・ジャーニー』というお話で、昔ラジオドラマ風に放送されていたのを偶然に聴いたのが出会い。
再放送をカセットテープに録音していたのを引っ張りだしてきて、コドモに聴かせた。最初はせつながっていたのだが、何度も聴いた後

「小さくなっていったら人の目からは見えなくなるかもしれないけど、分子とか原子の世界はで存在し続けられるんじゃないの」

と来た。流石男の子である。やっぱり男と女は分かり合えない。


すれちがう恋人といえば、「文學界」七〜九月号まで連載されていた小川洋子さんの『猫を抱いて象と泳ぐ』にとても印象的なシーンが。
無垢な心を通わせ合いながらも俗なるものに穢されて、はなればなれですごしてきたふたり。唯一ふたりを繋いでいたのは手紙でのチェス対戦だったが、彼女は意を決して彼の元へやって来る... 彼女の乗った上りのゴンドラと彼を乗せた下りのゴンドラがすれちがう。思わず映像が目の前に浮かんでくるようなその一瞬があざやかで、象徴的で、哀しくて胸が詰まる。

昨日『容疑者Xの献身』を読んだ。
タイトルに献身と冠する以上、生半可なものではないと思ってはいたが…容疑者X=石神の献身ぶりは、遠藤周作先生の"『深い河』創作日記”を図書館で借りていたせいもあったのか、『深い河』の大津を連想させた。その”犠牲”には天と地ほどの違いがあるけれど、底に流れているものに共通するなにかを感じる。
来月公開?の映画版では石神(天才数学者)を”殴介さん”の堤真一氏が演じられるそうで(原作で描かれる容貌のイメージとは全く違うけれども)期待が持てる。

最近札幌で『この世の果て』の再放送が始まった。目の前の男を滅ぼさずにはいられない女が登場し、すばらしいピアノを弾くことでしか生きられない男が自らそれを放棄するところまできた。ピアノの世界への退路を自ら断った生活力ゼロの男。あとは"この世の果て"から帰ってきたという男が見透かした未来の通り、堕ちるとこまで堕ちるだけの彼に聖母マリアの如く尽くす”まりあ”…そんな彼女を見守り支える御曹司、盲目の"なな"へ一途に向けられる純のぎこちない愛、意識を取り戻さない妻と20年の歳月を送ってきた眼科医、崇拝する女のために自分の眼を潰す男。これも献身の物語。

web clap!

はじめまして、コメントをいただきありがとうございます。

『容疑者Xの献身』の石神の献身に対して、DVDをご覧になった怒りの葡萄様が原作を読んだ自分の感じたことと共通するものを感じられ、こうして書き込んでくださった喜びを噛みしめています。
自分の中で感覚としてしか捉えられず上手く文章にできなかったことを形にしていただいて、静かな感動に浸っています。この作品と遠藤周作氏の作品をまた読み返してみたくなりました。
こちらこそコメントをいただけたことに感謝しております。今夜は快く眠れそうです。
  • kokoschka
  • 2009/07/06 10:36 PM
初めてのコメントが、とんでもない亀コメで申し訳ありません。
遅れ馳せながら、「容疑者Xの献身」のDVDを観ましたが、
堤真一さんの演技に感動すると共に、そのストーリーに心を打たれました。
どこか旧約聖書の楽園追放を想起させ、主人公の石神という名前、
その悲しいくらいの献身と相俟って、キリスト教的なものが今作品の通奏低音を
奏でているように感じました。
若い頃に読んだ「違いがわかる男」遠藤周作さんの作品の読後感を彷彿させました。
ベストセラーであったこの映画の原作は未だ読んでいないのですが、
私が映画から感じた雰囲気が、果たして原作にあるのかどうか興味を持ち、
キーワード検索した結果こちらに辿り着きました。
>その”犠牲”には天と地ほどの違いがあるけれど、底に流れているものに共通するなにかを感じる。
全く同感です。
石神の選択は人間として決して許されるものではありません。
けれども、底に流れている「共通するなにか」とは、
同じ原罪を背負って生きる人間として、その哀しみへの共感なのではないかと感じました。
あなたのブログに出会えて感謝です。

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