"僕の手・・・" 〜 映画『Santa Sangre』



アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「サンタ・サングレ 聖なる血」のビデオを数年ぶりに観た。

これまで鑑賞した中で1,2を争うくらい好きな作品だが、観たいと思う気持ちと自分の状態が合致しにくくて遠ざかってしまっていた(同監督の『エル・トポ』も同様で、好きなのだけれどもう何年も観ていない)。初めて観たのはもう随分と前で、深夜にTV放送された時に予約録画をしたものの、なかなか観られず時間がかかった。観る勇気がなかったからだ。

この作品の存在を知ったのは、当時新作が出ると欠かさず読んでいた原田宗典氏のエッセイに書かれていたからだった。"ホドロフスキーとグリムの血"をいうタイトルでそれは記されていた。

グリム童話はなかなか侮れないというイントロダクションに続いて、ひとつのグリム童話『手なし娘』が例に挙げられる。以下氏のエッセイから抜粋してみる (source : 1992年 大和書房;1996年 集英社文庫「できそこないの出来事」)。

"貧しい粉ひきが悪魔に出会い、「水車小屋の裏にあるものをくれると約束したら、お前を金持ちにしてやる」と持ちかけられる。水車小屋の裏にはリンゴの木しかないので、粉ひきは喜んでその申し出を受ける。ところが家へ帰って水車小屋の裏へ行ってみると、そこには自分の娘が立っていた。やがて悪魔は娘を引き取りに来るが、娘の両手が清められているために近寄ることができない。そこで悪魔は「娘の両腕を切り落とせ」と粉ひきに命じる。娘はそれを聞いて、健気にも両腕を差し出して切り取らせる……。"

氏はこの童話と似通った話をどこかで聞いたような気がして、二日かけてあるビデオに思い当たる。それがホドロフスキーの『サンタ・サングレ 聖なる血』だった。氏のエッセイはこう続く。

"この作品に登場する主人公の青年の母親は、両腕がなかった。全身に刺青を入れた女と乳くり合う自分の亭主を見つけて逆上し、劇薬を彼の股間にぶちまけたところ、怒りをかって両腕を切り落とされてしまうのだ。"

一体どんな映像なのか・・・
エッセイは、この作品の"隅々まで行き渡った監督ホドロフスキーの特殊な美意識に圧倒され、胸の中がざわざわした"と、”陰惨きわまりないストーリーが展開され一部ではホラー映画として取り沙汰されかねない内容であるにもかかわらず、凛とした美しさを保ち、どこかしら懐かしい雰囲気を漂わせているのではなかろうか”と結びの手前で綴っていた。

これはぜひ観たい。そう思った情熱が少し薄れてきた頃に放送があったのだと思う。予約録画をして、しばらく経ってから鑑賞した。


俗の中の聖、穢の中の清純。
凄惨さや、人の世の穢さの一切は浄化されて、美しい映像とせつない音楽が幻燈のように頭の中を巡りつづける。

少年魔術師フェニックスと少女曲芸師アルマの出逢い、ふたりの交感、鼻から血をぼとぼとと流して死んでいく象、その象を仲間として見守り、葬列に喪服でつき従うサーカスの団員たちと彼らに漂う物悲しさ、一見おぞましく思えるフェニックスの母が崇める両腕のない聖母を祀った粗末な教会の内部の静謐さ、フェニックスを慈しみ支える友達="世界一小さな象使い"のアラディンそして道化師たち。

真っ昼間から飲んだくれている父親、身をくねらせる刺青の女、俗物の町の司教。これから象の棺が落とされるその谷底で待ち受ける野人たち、テレビで見る映画の中のミイラ男になりたいと願うフェニックスが調合する怪しげな薬、死んでしまった象の如く鼻から血を滴らせるフェニックス・・・グロテスクだったり滑稽だったり胸が悪くなるような描写の洪水の中にあって、原田氏云うところの"凛とした美しさ"が際立っている。

終盤、フェニックスが母親の呪縛から解放されると、それを待っていたかのように道化師たちは手を振りながら消え去る。友達のアラディンもフェニックスにサヨナラを言って、後ずさりながら姿が薄れて消えてゆく。

ラストシーン、フェニックスは父と母の惨劇が起きる前、あどけない少年だった頃となんら変わりのない無垢さで、愛おしそうに上に掲げた自分の両腕を見つめて「僕の手」と何度も繰り返す。すべてはこのラストシーンのため。
不死鳥は解き放たれ、羽ばたく。

 
 

"私は手を差し延べ、我が魂は
渇いた地のようにあなたを慕う

道を教え給え
我が魂はあなたを仰ぐ"      

                  詩篇 143.6,8




"I stretch out my hands to thee:
 my soul thirsts for thee like a
 parched land...
 Teach me the way I should go
 for to thee I lift up my soul."

              Psalms, 143.6,8.



フェニックスとアルマのシーン、アラディンや道化師たちとのシーンで流れる音楽がとても好き。ラストシーンに上記詩篇の字幕がかぶさりEDクレジットへ。EDテーマが特にいい。→  



後日、録画したビデオは妹に譲って市販のビデオを購入した。そのパッケージの解説面にこうあった。

天使のファンタジーか?悪魔の地獄絵か? "

まさしく。



"道化師"といえばフェリーニの『道化師』、 ルオー, 三岸好太郎の絵画。"ナイフ投げ・曲芸師"で思い浮かぶのはルコントの『橋の上の娘』, フェリーニ『道』。先月だったか先々月だったか、最高画質版の『道』をTVで観た。ザンパノとジェルソミーナが旅の空の下で知り合う、自分の宿命を受け入れて慎み深く慈愛に満ちて生きる修道女の生き様に惹かれた。

久しぶりに『橋の上の娘』が見たくなった。

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